une pivoine

東海地方でひとりぐらし 25歳のブログ

エリザベート感想 その2

 

余韻はまだ続いているエリザベート。個人別に感想を書いていきたい。

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朝夏まなとさま(トート)

 

まあ様は太陽みたいに明るくて、情熱的で、才能あふれて、まっすぐで、知的で、にくめなくて…そういうイメージ。だからトートって聞いたときも 「う~んどっちかというと水さんと顔のタイプが近い真風さんのほうがイメージつきやすいロミジュリで死を演じられていたし」と思ったり。制作発表の「様々なものが削ぎ落とされた核心をついたトート」というのがどんなトートなんだろうって、とても楽しみでした。

まあさまトート、厳かでむやみに感情を表さないはずなのに「お前を愛してる!俺を選べ!」っていうアピールが随所に。「ああ…トートはほんとにシシィのこと手に入れたいんだなーーー…」っていう。

印象的なのが「死は逃げ場ではない!」っていうセリフと、その後のソロ。手に入れたいのに手に入らないジレンマ、動揺、苦しみ、半分の開き直り。エリザベートへのつきない愛がひしひし伝わってきました。プログラムには、演出の小柳先生の文章中に「冷静にしていても内に情熱を秘めたトート」(一言一句あっているかしら…)という主旨の言葉。「ここで見えた!」と思いました。それにしても、みりおんを見つめるまあ様の伏し目がお美しいこと…世界遺産にしたい!! 

 

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実咲凛音さま(エリザベート

 

歌がすばらしかったです。純粋に自由に生きたいという少女時代、自我への目覚め、美しさを自覚した誇り高さ、孤独、母親として息子を失った悲痛さ、そして死に迎えられる安堵。全部声で表現されていたと思います。

「私だけに」のラスト、高音の伸びがすごくて「自我の確立」がびしびし伝わってきました。鳥肌。

歌劇でまあさまが「シシィには陶器のような濃い白でいてほしい」ってインタビューでおっしゃっていて、その陶器のような白さ、まばゆい、硬質な白さがみりおんの美貌によく似合うと思いました。

みりおん、本当に骨格から細そうなお身体だから、器械体操のシーンではほんと痛々しかったし、カフェで民衆が誇張しているかのように歌い上げる「驚異のウェスト50センチ」っていうのも、「みりおんならありえる…」という説得力がありました(笑) 

 

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真風涼帆さま(フランツ・ヨーゼフ1世)

 

まず「なんと麗しいハンサムな皇帝なんだ!」という衝撃。スタイルも良いしこの上なくハンサム!軍服姿も、ヒゲをつけてもすべてが麗しい!!あー私も彼のお世継ぎを産みたい!!!←  

最初のお見合いの場面で、打ち落とした置物の鹿の角をシシィから手渡されたときのフランツのときめき(少女漫画で言う「トクン…///」みたいな部分)真風さんの表情がこれまた甘くてすてきでした。ここからフランツはずっとシシィが好きなんだよね。歌も安定していらっしゃいました。うら若き、まだ青さの残る皇帝のころから、王家を背負っていく覚悟が板に付いてきた中年の皇帝、それに白髪が増えて「人生のゴール」が見えてきた皇帝のころ、きちんと年齢を重ねていく重みを感じさせる歌声と演技でした。

フランツはきっとすごくすごく真面目なお方なんだと思います。ゾフィーに初夜の話をするのも、フランツ自身も朝5時に起きていたってこと。ゾフィーはかわいい息子のベッドの営みを聞くのが目的ではなくて、お世継ぎをつくる役割を2人が果たそうとしているのか確かめる目的の意味が強かったんじゃないかな。なんせお見合いでヘレネをみて「安産型だわ」って言っちゃうくらいだからね。フランツとゾフィーの強い絆っていうのはマザコンの上に「ハプスブルク家至上主義」でがちがちに固められているものなんだと思ったり。

真風さん、最初から最後までほんとに素敵で、最後通ちょうの場面、「君の優しさで僕を包んで欲しい~安らかに眠りたいせめて今宵だけは~」・・・切ない声セクシー!私の胸で良かったら、いつでも開いてます!!!と、会場中が思ったに違いないです。何よりも、「最後の証言」。まあまかの2人の男が1人を愛する直接対決、こんなオイシイ構図あっていいんですか!…もうたまらんです。1日1回この場面を見たい。

 

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純矢ちとせさま(ゾフィー

 

皇帝で唯一の男といわれる皇太后ゾフィー。数年前までどこの国でも共通の嫁姑戦争の構図で描かれているのだと思っていたけど、最近はそういう次元だけではないと感じる。(いや嫁姑戦争を経験したことないからわからんし女の本質的にそうなのかもしれないけども・・・)

ゾフィーは「ハプスブルクの歴史」を守ることが彼女の使命であり存在意義だったはず。皇后の務めは自分を殺してすべて王家に捧げること。それをこなさないと、王家がたちゆかないことをわかっていて、様々に「冷静に冷酷に」やってきた人だから「皇帝で唯一の男」と呼ばれているんですよね。重たくて古くさい伝統やしきたりに対して、ゾフィーの頭があれば色々思うところがあったかもしれないけど、「王国のため公益のため」と言ってこれまでやってきたのに、この若くてきれいな息子の嫁は……んんもうッッ!って思うのも、仕方ないのかも。

初観劇だったのでまあみりを追いかけるので精一杯で、せーこさんの演技を集中して見ることは今回できなかったんですけど、もうド迫力なのは間違いない。「顔は洗ったの!!!!????」からの「歯を見せて、黄ばんでいるわね」のところ。あまりの威圧感で思わず「私きょう顔洗ったっけ?歯はたぶん黄ばんでる…」と焦りました。

東京公演に最低1回は必ず行きたいからそのときはせーこさんの演技に注目しようと思います。

 

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宙組 『エリザベート ―愛と死の輪舞―』に行ってきた

記事を全然書いていませんでした。

5月に博多座王家、6月に中日劇場でローマの休日に行っていたんですが、感想はかけずじまいに。でもどちらも心に残る公演だったな……(余韻)

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きのう7日(日)阪急交通社貸切の宙組公演に行ってきました! 2年前の花組公演は、チケット難で1度だけしか見られませんでしたが、たった2年しか間があいていないとなると、演じる方も役作りが大変なんだろうな。

 

エリザベートは色んな人にとって特別ですよね。

どうしてこんなにも、黄泉の帝王=死とのラブストーリーに惹かれるんだろう。

 

観客の多くが歌もストーリーも頭に全部入っているであろうし、見比べてきた人にとってみれば比較対象がこんなにもある演目…。演じる側のプレッシャーを想像するだけでも、並大抵のものではないのでしょう。

 

予習ということで、世界史の教科書と、小池修一郎先生が書かれた小説版の「エリザベート」、それにこの間発売された「ミュージカル・エリザベートはこうして生まれた」を読みました。これは読んでよかった。理解が深まりました。

やっぱり柱になるのが、「トートは両性具有のような、中性的な存在」だということ。トートは人間ではないもんね。男も女も惹かれる存在でなければならない。そういう意味では、宝塚歌劇でやることにすごい意味があると思った。

 

全体的な感想は、丁寧だった。すごい真剣に、作り手が何を考えて、1つ1つの場面にどういう意味をこめて舞台をつくってきたのかに忠実に沿っている印象。

 

色々読んだ結果、トートのシシィに対する気持ちは、衝撃→興味→執着→愛への変化だと思った。

木から落ちて死んだシシィ。トートが命を奪う口づけをしようとして彼女の手首をつかみ目と目があう。手首越しから、眼差しから「生きたい!自由に羽ばたきたい!」というシシィの強い気持ちが伝わってくる。その生きることへの熱さにびっくりして思わず突き放した、トートの衝撃。そしてこの娘が生きたらどうなるんだろう、どうやったら自分のものになるんだろうっていう、生きる者に対しての興味。目覚めたシシィが「確かにそこにいるの あなた」と言ったときの、切なげなトート…!!冒頭でこのへんがよく伝わってきた。

 

最後通牒のシーンでも、みりおんシシィ、すでに十分死に惹かれていて、すんでの所で理性で打ち勝った感じが伝わってくる

 

第1幕の終わりの鏡の間のシーン。圧倒的な美貌で外交に貢献し、ゾフィーとの勝負に勝って誇りに満ちたシシィ。トートも絶対その美しさに衝撃を受けて、「お前…美しすぎるだろ!俺を求めろ!俺を選べ!」って思っているはずなのに「陛下とともに歩んでまいります」と言われちゃあ…執着と愛のボルテージも最高潮になりますよね。

1幕のクライマックス「お前しか見えない! 愛してるー! エーリーザーベーーーーート!!」って言いたくなりますよね。

1つ1つに説得力があるというか、トートの気持ちも、シシィもトートに惹かれていく過程もよくわかって「結局おふたりさん、否定しても息子殺してもラブラブやないですか!」みたいな感じでした。

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黄泉の帝王・トートにとって、待っていればいずれシシィも誰もかも死ぬんだから、最後には自分のところに来ることはわかっているんですよね。じゃあトートが「『生きた』シシィに愛されたい」というこというのはどういうことなんだろう…と疑問でして。だから最後の証言で、「時を待っている」と答えたトートに、夫フランツに「嘘だ、あなたは恐れてる、彼女に愛を拒絶されるのを!」と指摘する。

トート閣下は「ちがーーーーう!!!!」って爆発して、「誰も知らないその愛エリザベート」ワ~ア~ア~~というコーラス。証言の場にいる誰も、シシィが誰を真に愛していたかわからないということでしょう。

 

トートは静寂の中ナイフをルキーニに渡す。そのナイフで刺殺するわけじゃないですか。命を奪うよう命令を下すことは、最後の求愛ということなのか? 「自分を受け入れるだろう」と証明するため? シシィもシシィで、ルキーニの攻撃を傘で1度よけて、「エリザベート…」ってトートに名前を呼ばれたあと、胸を無防備に相手に向けて刺し殺されるんですよね。みりおんの表情はわからなかったけど、ここでトートの求愛を受け入れた、ヤケになって逃げ場としての死ではなく、選んだってこと…なんだろう。うーん。と観劇中も帰路につく中も夢の中でも(笑)考えてました。

 

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↑賛否両論あったかもしれないけどすごい美しいし、紫で尊い?というか慈愛に満ちているポスターだと思う

(つづく・・・)

 

はじめてみたときから

 

先日、中日劇場にて花組の全国公演「Ernest in Love」を観に行ってきた。

「アーネスト」という名前の架空の人物を作り上げ、遠方に出かける理由にしていた主人公達とそれに乗っかる親友。嘘の人物語るもんで、それぞれの恋人には誤解され大騒動に。そして恋人との結婚が許されない障害になっていた、主人公の出自の秘密も核心に近づいて・・・!?

みたいなあらすじ。

 

明日海りお様演じる主人公、アーネスト。(麗しい~~~~

その恋人を演じる花乃まりあ様がかわいらしく言うんですよ。

アーネストという名前の人と結婚するのが夢だったの」と。

アーネストの本当の名前である、「ジャック」は平凡だと一刀両断。

 

それが、なんかすごく…日本じゃないやつだな!というか。

 

一方で(ヅカ好きならメロディー付きで暗唱できるだろう)

「あなたはなぜロミオなの」「恋人、僕の新しい名前だ」「バラという名の花は名前を変えても香りは変わらない」「名前に意味はない」的なこと、

シェイクスピアが言ってるじゃないですか。

(脳内にちえねねが出てきました。幸せになりました。)

 

名付けることの恣意性はヨーロッパで指摘されてきたんじゃなかったんかい、という。

日本の少女漫画に「直とか誠(=アーネスト:正直の意味)という名前の人と結婚するのが夢だったの」というセリフは出てくるものだろうか~。

 

欧米の人のファーストネームはだいたいキリスト教ギリシャ神話に由来するものって多い。しかもおじいちゃんお父さんから受け継いだりするのも、典型パターン。

留学先NZで

「サムいる?」「どっちのサム?」「サム・(名字)」

というやりとりするたび、日本だったら

「佐藤さんいる?」「佐藤なにさん?」「佐藤太郎さん」と、

下の名前と逆になるもんだけどなーと思ってた。

 

そう思えば、日本は漢字ありのひらがなカタカナありので。

読み方は同じでも、使う漢字で名前の意味が変わってくるし。

選択肢は多いのかな。

3時間通してもんもん考えておりました。

グエンドレンとセシリイが「はじめてみたときから」きゃいきゃい、うれしくても悲しくてもきゃいきゃいするのはかわいい。

若かりし女子校時代のノリを思い出しました。

 

きょうは美濃加茂市へ。

仕事のあと、ひとりでランチ。おひとりさま極まってます。

カサゴのポワレ、アンチョビ風味。これにサラダと食後のコーヒーついて900円。

なんて良心的なんだ…!!

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店名「パリの定食屋」ってすげー名前だなって思ったけど、

世界の観光地・パリにはたぶんこんな安くおいしいお店ないかも…

パリいったことないけど。おわり

 

はじめました

ブログを始めました。

 

25歳 性別は女です。

出身は雪とお米と酒と魚が有名なところです。

東京で書店やら、飲食店での勤めを経て心機一転ニュージーランドへ。

その後、地方勤務のある仕事に就きました。

 

毎日の暮らしのたわいもない話と

こよなく愛している宝塚歌劇などについて書いていきたいです。